メッカ巡礼記

トイレの話を下品にならないように書くのは疲れます。あと、イスラム教徒の方は気を悪くしないで下さい。

救いを求めて

お腹が痛くなっても、学校のトイレに駆込むのは気が引ける、という人は多いのではないだろうか。私も胃腸が弱く、しばしばお腹を壊していたのだが、やはり学校のトイレに入るのは嫌だった。人目が気になって、どうも落着けないのだ。

しかし、人の来ないトイレがあったらどうだろうか。そこでなら何の気兼ねもなしに事に対処できる。本当にそんな「聖地」があるのだろうか、そう思う人もいるだろう。だが、確かに聖地は存在するのだ。少なくとも、私の高校時代には聖地は存在した。

私の通っていた高校には、美術室や音楽室などの特別教室が置かれている建物があった。その建物は四階建てで、二階には職員室が入っていたが、一・三・四階には特別教室しかない。当然、生徒はそうそう入って来ないわけで、美術や音楽の授業がある時とか、放課後に美術部などが活動する時とか、生徒がいるのはそういった時だけであった。つまり、ほとんど無人と考えて差支えなかったのである。

その四階の一番奥、そこに聖地はあった。そこに来るのは、お腹を押さえた生徒くらいのもの。私たちはそこを「メッカ」と呼んでいた。それは、お腹を壊した生徒の中心地という意味(「何々のメッカ」という表現と同じ)であり、また、そこに生徒が来るのが本当に巡礼しているように見えたからでもある。そして、メッカへの巡礼者を「メッカスト」と呼んだ。一人耐え、救いを求めてメッカを目指す者、それがメッカスト。

これは、そんなメッカストたちのメッカ巡礼の記録である。

時間に競り勝て

メッカストの前に立ちはだかる困難な障壁、その一つに「時間」があった。十分間しかない授業と授業の間の休み時間のうちに、遠く離れたメッカまで往って還ってくるのは、なかなか大変である。教室の場所にもよるが、往復には最低でも三分はかかる。それにメッカでの「祈り」の時間を加えると、のほほんとしている余裕はなくなる。

しかも、確実に十分間の時間を確保できるという保証もない。祈りの時間を、延長された授業が侵食することもあった。毎回休み時間半ばまで授業を延ばす教師もいて、そういう教師からは、たっぷりと地獄の苦しみを教示してもらったものである。

さらに悲惨なことに、三年の時、私はメッカから最も離れた教室になってしまった。その教室は、メッカとは正反対の場所に位置しており、メッカまで片道二分以上かかる。往復するだけで、休み時間の半分近くを費やす計算だ。世のサラリーマン諸氏のように、新聞を持込んでゆっくりと、などと悠長なことはいっていられない。チャイムが早いか、還るのが早いか。

シンデレラが午前零時の鐘に間に合えとガラスの靴を残して帰っていったように、メッカストもまた、未練を残しつつも還らねばならないことしばしばだったのである。それはまさに時間との闘いであった。

十字軍襲来

メッカストにはまた、「十字軍」と呼ばれる敵もいた。十字軍というのは、たまたまメッカにやってきた生徒や、メッカ周辺に人がいないのをいいことにそこを遊び場とする生徒、興味本位からメッカストを追跡する学友などの総称である。早い話、メッカでの祈りを妨害するものは全て十字軍である、その意図に関係なく。

たまたま授業か何かでメッカの近くまで来ており、偶然メッカに立寄ったというだけの十字軍ならば、取立てて騒ぐほどのこともなかった。彼らは、自らの祈りが終われば、大抵は素直に去っていくからだ。中には「誰か入っているぞ」と冷やかす十字軍もいたが。

しかし、メッカ周辺を縄張りとして居座る十字軍や、しつこく追跡してくる十字軍は深刻な問題だった。

彼らにメッカの前でキャッチボールなどされると、メッカストは出るに出られなくなる。人目を避けるためにやって来たメッカで、人目のために出られないとは、なんという皮肉だろう。こうなると、彼らが去るまで篭城するか、彼らの前を強行突破するか、二者択一の決断を迫られることになる。昼休みなど時間的に余裕がある場合なら篭城も有効だが、通常は時間が押しているため、強行突破を選択せざるを得ないのではあるが。

追跡型十字軍はさらに性質たちが悪かった。彼らは時に巡礼の後をつけてきて、時にメッカで待伏せした。そして、聞耳を立ててメッカストの祈りを聞こうとした。気まぐれな彼らは、メッカストの焦る表情に満足して立去る時もあったが、終始聞耳を立てている時もあった。彼らのお陰で、巡礼が全くの徒労に終わってしまうことも少なくなかった。

メッカストは何とも酷い迫害を受けたのである。

兵は詭道なり

勿論、メッカストとて十字軍に好き放題やられっ放しだった訳ではない。特に追跡型十字軍は死活問題だったので、メッカストはメッカ以外の聖地に巡礼することで、追跡や待伏せを回避しようとした。

メッカの入っている建物は四階建てで、各階に一箇所ずつ、計四箇所の聖地がある。このうち二階のものは「カーバ神殿」と呼ばれ職員専用だったので、メッカストが巡礼できるのは残り三箇所。一番人が来ないのは四階のメッカだが、三階の「メディナ」、一階の「コンスタンチノープル」も比較的人が少ない。

これら三つの聖地を活用することで、追跡型十字軍対策は或程度の成果を上げた。追跡されても撒くことが出来れば、十字軍は一階から四階までを調べなければならないので、少なからず時間を稼げた。待伏せに関しても三分の一の確率で回避することが出来るようになったし、その時々の状況に応じて、最も安全な聖地に巡礼することも可能となった。

このように、十字軍との闘いの中で、聖地の数は増え、時間の経過とともに安全な巡礼パターンが確立されていったのである。しかし、十字軍は依然として脅威であり、彼らの攻撃は止むことを知らず、さらに激しさを増すのであった。

聖女たちの侵攻

にわかには信じ難いことではあるが、メッカに襲来する十字軍は男ばかりではなかった。メッカの入っている建物の四階に女子トイレが無かったため、一階下の女子トイレに行くのを面倒くさがった女子が、メッカにやって来るのである。

これは正気の沙汰ではない。痴漢だの何だので、鉄道には女性専用車両まで現れたご時世である。そんな流れの中にあって、彼女たちはメッカに堂々とやって来て、そこで祈りを捧げていくのである。厚顔無恥にも程があろう。これはもう馬鹿か阿呆の次元である。

しかも中には、私の入っている「祈祷部屋」の扉をガタガタ揺らして「誰か入ってるよー」などと喚き散らした挙句、隣の祈祷部屋で祈っていく二人組みまでいた。こういう輩に限ってメッカの外で待構えていて、私に対して軽蔑の眼差しを向けるのだから、えらく性質たちが悪い。立場が逆だろうが。

湾岸戦争当時、聖地メッカ(本物の方)を半袖で闊歩する女性兵士を見てイスラム教徒は唖然としたというが、その気持ちも分かる気がする。世も末である。

※女性が男子トイレに入るのは、トイレを使用するため等の正当な理由があれば、合法であるらしい。

メッカを後にして

メッカ巡礼とは闘いの連続である。腹痛と闘い、時間と闘い、十字軍と闘い、それらを勝抜いてメッカストは生還しなければならない。たとえお腹は弱かろうとも、強い意志を持ち続け、メッカストは巡礼を果たさねばならない。メッカストはとかく大変である。

幸いにして、私も最近ではメッカのような聖地のお世話になることはあまりなくなったし(ゼロではないが)、私の知る勇敢な(?)メッカストたちも、巡礼の機会は少なくなったようである。しかし、まだ世の中では、たくさんのメッカストたちが日々闘いを繰広げていることだろう。今もどこかで、誰にも知られることのない祈りが捧げられている。

メッカストよ、不屈(腹痛)の精神を持て!

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公開日
2002-08-06
更新日
2002-08-09
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